蕨の歴史

蕨の歴史を紹介します
蕨の今昔の写真なども紹介します


年表
時代写真館

年表

わらびのmini歴史年表

弥生時代
奥東京湾の海面下にあった蕨は、やがて地上にその姿を現わし、湿地帯を形成していました。 その上に荒川のはん濫で運ばれた土砂がたい積して、海抜4メートルから6メートルの高地がつくられました。
300〜500 蕨に人が住み始める(金山遺跡)
平安時代
998(長徳4年) 寺伝によれば、三学院が創建したという
この高地に人間が定住し、開発が進められたのは、平安時代末期のころです。 言い伝えには、金子右馬之助家忠の一族が、平安末期の保元の乱(1156年)や平治の乱 (1159年)を避けて蕨本村(法華田(ほっけだ)、現在の錦町5丁目付近)に落ちのびてきて、 蕨開発の祖となったと伝えています。
鎌倉時代
鎌倉時代に入ると、土豪を中心にある程度の集落ができていたようです。 これは、市内に現存する鎌倉時代の板碑からも、うかがい知ることができます。
室町時代
1352(観応3年) 蕨の地名が初めて見える
1458(長禄2年) 古河公方に対抗するため、渋川義鏡(よしかね)が
関東探題に任命され、蕨城主になる。
1467(応仁元年) 応仁の乱が起こり戦国時代に突入、全国各地に
戦火が広がる。
1524(大永4年) 蕨城が落城する(大永6年ともいわれている)
1567(永禄10年) 蕨城主の渋川氏が上総国(千葉県)三舟山で戦死。
戦いに敗れた渋川氏の家臣たちは、
その後、蕨城周辺に帰農し、沼沢地帯の干拓を
行い塚越新田を開きました
1591(天正19年) 徳川家康が三学院に寺領20石寄進する
江戸時代
江戸時代の蕨宿の町並みは南北に約10町(約1.1キロメートル)続き、 この町裏に用水を堀りめぐらして、宿の防備や防火に備えました。
1612(慶長17年) 蕨に宿場が作られたという
1694(元禄7年) 三学院にある子育地蔵がつくられる
1725(享保10年) 蕨宿が火事となる
1826(文政9年) 塚越村の高橋新五郎が織物業を始めたという
1861(文久1年) 皇女和宮が蕨宿の本陣で休憩する
明治時代
1870(明治3年) 石川直中は蕨宿に郷学校を開校する
1872(明治5年) 新学校制度が始まり、「蕨郷学校」が
「第二十九番小学校」となる(今の北小学校)
1878(明治11年) 塚越村に「第四十三番小学校」ができる
(今の東小学校)
1889(明治22年) 蕨宿と塚越村が合併して蕨町となる
1893(明治26年) 蕨駅ができる
1910(明治43年) 蕨町が台風により大水害にあう
1911(明治44年) 蕨町の18社の神社を合祀して和楽備神社となる
蕨町に電灯がつき、電話がひかれる
大正時代
1915(大正4年) 「ワラビ」を図案化した紋章が画家の間宮孝太郎によって考案。
1923(大正12年) 関東大震災がおこる
昭和時代
1932(昭和7年) 赤羽から大宮まで電車が走る
1945(昭和20年) 蕨町が3回空襲され、50人が亡くなる
1946(昭和21年) 第1回「成年式」が行われる
1951(昭和26年) 第1回「機まつり」開催
1959(昭和34年) 蕨町が蕨市となる
1984(昭和59年) 第1回「宿場まつり」開催
平成時代
1989(平成元年) 蕨のマスコットキャラクター(市制30周年記念)
「ワラビー」くん登場
2010(平成22年) 蕨のマスコットキャラクター(市制50周年記念)
「Angel WaraBU-!!」(エンジェルわらぶー)登場

※歴史の内容は、蕨市ホームページとパンフレットの「わらびのみどころ」を参照。

時代写真館

昭和−戦争−
昭和−戦後−
昭和30年代
昭和50年代

    昭和−戦争−
昭和13年
蕨婦人会廃品回収
昭和15年
出征兵士の帰還を祝う
昭和16年
蕨報国農場開墾作業
(川口女子高等学校生徒)
昭和17年
蕨青少年団勤労農場での
サツマイモ収穫
蕨駅での出兵兵士壮行会
蕨第一国民学校(現・北小)
での軍事教練(行進)
蕨第一国民学校(現・北小)で
行われた軍事訓練
    昭和−戦後−
昭和21年
蕨市第一回成年式
青年祭の中のひとつの催しとして『成年式』が行われた。
    昭和−30年代−

まるで映画の「ALL WAYS−3丁目の夕日−」の世界です

昭和34年4月
蕨町から蕨市へ 市制施行のため
『蕨市役所』看板掛け替え
蕨駅西口
蕨駅西口
蕨駅西口駅前通り
桜橋あたり
中町辺り
(現在の中央の旧中山道あたり
歴史民俗資料館近く)
昭和32年 旧郵便局近辺
現在の蕨市役所第二駐車場あたり
    昭和−50年代−
昭和56年
日本鋳鉄管跡地
市民公園が出来る前
昭和59年
蕨市民公園オープンフェスティバル